2025年4月21日、ローマ・カトリック教会の最高指導者であるフランシスコ教皇が88歳で逝去されました。教皇は、貧困や気候変動、難民問題、核兵器廃絶など、現代社会が直面する多くの課題に対して積極的に取り組み、世界中の人々に深い影響を与えました。彼の死去に際し、各国の指導者や宗教関係者から哀悼の意が寄せられています。
フランシスコ教皇(本名:ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)は、1936年にアルゼンチンのブエノスアイレスで生まれ、2013年に中南米出身者として初めてローマ教皇に選出されました。イエズス会士として、長年にわたり貧困層や社会的弱者への支援に尽力してきた人物であり、教会改革と現代社会との対話を重視した姿勢でも知られています。
その象徴的な出来事のひとつが、2019年の日本訪問です。これはローマ教皇としては1981年のヨハネ・パウロ2世以来、38年ぶりの訪日でした。これまでに日本を訪れた教皇は、歴史上わずか2人──ヨハネ・パウロ2世とフランシスコ教皇のみです。両者ともに広島・長崎の被爆地を訪れ、核兵器廃絶のメッセージを世界に発信しました。
広島では「核兵器は使うことも持つことも倫理に反する」と語り、長崎では「真の平和とは、非武装の平和以外にありえません」と訴えました。戦後80年を経て、被爆の記憶が薄れゆく中で、教皇の訪問は「記憶の継承者」としての宗教者の役割を世界に示した瞬間でもありました。
今回の訃報に際して、広島・長崎の被爆者や自治体関係者からは深い追悼の言葉が相次いでいます。広島市の松井市長は「教皇の思いは、核兵器廃絶を願う世界中の多くの市民を勇気づけた」と述べ、長崎では被爆者の証言者たちが「教皇の遺志をつなぎたい」と語りました。
フランシスコ教皇の死去は、復活と再生を祝うイースターの直後、復活月曜日という特別な日に重なりました。これは偶然にしてはあまりに象徴的です。彼が生涯をかけて語ったのは「非暴力と平和」「希望と対話」──その最期もまた、復活という希望の物語の中にありました。
教皇の遺志をどのように受け継ぐのか。それは、記憶を風化させないこと、倫理の火を絶やさないこと、そして言葉と祈りをもって人と世界をつなぎ直していくということ。教皇は日本の被爆地に立ち、そこで記憶を受け取り、世界へと返しました。
今後、バチカンでは新たな教皇を選出する「コンクラーベ」が行われます。教皇の遺志を引き継ぎ、非暴力と和解の道を歩む新たなリーダーが誕生するのか、世界が注目しています。
フランシスコ教皇の生涯と功績は、宗教の枠を超えて多くの人々に影響を与えました。彼の遺志を継ぎ、平和と正義、そして人間の尊厳を重んじる社会の実現に向けて、私たち一人ひとりが行動していくことが求められています。